親に感謝したいなら生きていることを実感すべき

親に感謝したいのなら生きていることを実感しろ!体が丈夫ならOK

親に感謝したいのなら

 

親に感謝したいのなら。
生きていることを実感すべきかと。

 

 

おいしいご飯が食べられて幸せ…。
そういうのもアリだと思うんですけど。

 

根本的にそれ以前の話なんですよ。

 

 

当たり前に思えていることをもっとも感謝すべきなわけで。
親に感謝したいのなら
【体が丈夫なことを感謝すべき】
だと思います。

 

逆にいえば、親が病弱ならちょっときついかと。

 

 

やっぱりつらいのは嫌じゃん!
生きているだけで、常に痛みが走っているとかつらすぎるでしょ。

 

そういう感じではないのなら、親に感謝していいと思います。

 

 

 

 

普通に生きれること

なんか才能とか、裕福とかそういうのはどーでもいい気がします。

 

やっぱり人間は
【生きているだけで勝ち】
だと思うので。

 

まずは生きることを考えるべきかと。

 

 

でも、生きたくても体が病弱で生きれなかった人もいるわけで…。

 

 

ぶっちゃけ、人間の健康というのは遺伝によって大きく左右されるものだと自分は思っています。
なので、生きていることを恵まれていると思えば、親に感謝できるはずです。

 

でも人間は
「生きていることが普通」
だと思っているから、大事なところがわからないわけですね。

 

 

まぁ確かにそういうところまで感謝できる人間だったら、人間としてすごすぎるので…。
ちょっと馬鹿ぐらいでいいと思うんですけどね。

 

ただ風邪をひいたことがある人ならわかると思いますが。
やっぱり体調を崩すとつらいです。

 

その体調を崩さず普通に生きれるのは、親が普通な体で生んでくれたからかと…。
逆に遺伝的にあまり体が丈夫ではないのなら、病院通いな毎日だからなぁ。

 

まぁそれでも良い人生を歩めそうですが。
やっぱり苦痛のない毎日と、苦痛を伴う毎日なら。
苦痛のない毎日のほうがいいですよね。

 

 

 

 

 

人間はすでに恵まれている

と、そんな感じで。
親に感謝したいのなら、そういう気持ちがある時点で感謝していいんですよ。

 

なぜなら、体の調子が悪いのなら
「親に感謝したい」
って感情もわきませんから。
なぜならつらいから。

 

 

人間
「親に感謝したい」
って感情がわくのは、暇だからだと思います。

 

用は現状が恵まれているから
「親に感謝したい」
って感情が沸くわけですね。

 

 

そりゃそうでしょ。
風邪で寝込んでいるときに
「親に感謝したい!」
とか思わないでしょ。

 

手術しているときに
「親に感謝したい!」
とか思わないでしょ。

 

だってつらいんだから。
そんな余裕ないんですよ。

 

 

親に感謝したいって感情がわくのは。
体が正常で暇があるからです。

 

だからそういう感情が沸く時点で、親に感謝すべきなんですよ。
暇があるっていうのは、親が丈夫に産んでくれたからだと思いますから。

 

 

人間つらくないから、いろいろ考えることができます。

 

でも、体がつらいと、いろいろ考えている余裕なんてないです。
いや、言葉通りで、余裕なんてないんですよ。

 

 

だって、交通事故にあって、骨折したとして。
そのときに
「親に感謝したい」
とか思わないでしょ。

 

思うのは
「いたい、いたい」
って思うぐらいかと。

 

 

周りをみれば、みんな健康に生きているから軽視してしまいますけど。
やっぱり体の調子が悪いと、余裕がないので考えることもできなくなってしまうので。

 

「親に感謝したい」
と思う時点で、体に余裕があるわけで。
丈夫に産んでくれた親に感謝していいわけですね。

 

 

人間生きているだけで勝ちだと思います。
でもその生きているっていうのが苦痛を伴っているのなら。
それはやっぱりつらいでしょ。


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